金沢地方裁判所 昭和40年(わ)28号 判決 1966年10月15日
主文
被告人等はいずれも無罪。
理由
本件公訴事実は「被告人定免茂雄は石川交通労働組合(以下石交労組と略称する)の書記長、被告人杉浦常男、同池島静枝、同田中一郎はいずれも石交労組の斗争を支援するため組織された『石交労組を守る会』の会員であるところ、他の石交労組員及び『石交労組を守る会』の会員等一〇数名と共に、石川交通株式会社がさきに行った同社の従業員に対する解雇処分の撤回を要求して、昭和四〇年一月二一日金沢市彦三六番丁六一番地石川交通株式会社へ押しかけ、被告人等は共同して、同日午后二時頃より同四時頃までの間、同社二階会議室において、同社労務部次長津田六郎(当四九年)を取り囲み、同人に対して解雇処分の撤回を迫り、同人がこれを拒むや、こもごも『今までは可愛想だと思ってやってきた。しかし二、三日前から方針が変ったから、今后は徹底的にやるぞ。』『名鉄から来た人間か、そんなら徹底的にやってやれ』等と怒号し、同人が沈黙するや『どうなんだ』『早く言え』等と叫びながら、右津田の前の机を叩き『いつまでも黙っているなら絶対帰してやらん』『どんなことがあっても撤回できんのか、お前みたいなひどい奴は初めてだ。お前なんか、どんなことになるか判らんぞ。』『解雇はお前一人でやったんだろう。我々は一、〇〇〇人からの味方がある。皆に発表するが、それでもいいか。』『お前みたいな奴は二階の窓から放り出してやる。』等と怒号して脅迫し、更に『黙っとらんと言え。』等と怒鳴りながら右津田のすわっている椅子の脚を蹴る等して、あくまで解雇処分の撤回を要求し、もって多数の威力を示し、且つ数人共同して脅迫したものである。」と言うのである
案ずるに本件公訴事実の前提となるべき部分、すなわち、被告人定免茂雄が石川交通株式会社の労働組合(以下石交労組と略称する)の書記長であり、其の余の被告人等が、いずれも、石交労組の斗争を支援するため組織された、「石交労組を守る会」と称する団体の構成員であったこと、被告人等が石交労組員の一部、その家族及び「石交労組を守る会」の会員等一〇数名と共に、昭和四〇年一月二一日金沢市彦三六番丁六一番地に所在する石川交通株式会社二階会議室において、同社労務部次長津田六郎及び取締役斉藤弥三治に面会し、これより先同社が行った同社従業員数名に対する解雇処分について、その撤回を求める趣旨の申入れを行ったことは審理上争がない。前記会見の席上における被告人等の挙措言動について、最も詳細に供述しているのは、証人津田六郎の証言であって、該証言の信憑性如何は本件の成否につき大きな影響を持つことが明かである。そこで、該供述内容を特にこの見地より吟味するに、当裁判所の証拠調の結果、殊に同証人に対する尋問並にその際これと併行して行った公判廷における検証の結果等よりすれば、同証人の証言中には、かなり誇張された表現部分の存在することを認めざるを得ない。例えば、同証人は検察官の尋問に対し「私のうしろの方に舛田舛次と言う人がかなり早くから来ていた。解雇をどう思うと言う質問のあった頃と思うが、その人は『早く言わないか。早く言え』と言いながら、私のすわっていた椅子を、足で二、三度蹴飛ばした。云々」と述べている。しかるにその后、主任弁護人の反対尋問の際、衝撃の程度を確かめるため、同証人をして試みに当時の舛田の行為を再現せしめて見たところ、さきに蹴飛ばしたと表現した行為は、実際は、足部の先端を椅子の脚部に付けて、二、三回押すようにした程度のものであった如きは、その一例である。そういう訳で、証人津田六郎の証言は、たやすくこれに全幅の信頼をおき難く、当時その場に居合せた証人斉藤弥三治の供述と符合する部分は兎も角、それ以外は、これを証拠として採用するに躊躇せざるを得ない。以上のような配慮の下に、証人津田六郎及び証人斉藤弥三治の証言を綜合して、当時の被告人等の言動如何を考察すると、叙上会見の席上において、被告人田中一郎が、津田六郎に対し「名鉄から来た者か、そんなら徹底的にやってやらねばならぬ。」と言ったこと、解雇問題について意見を求められた津田六郎が「解雇を撤回する意思は絶対にない。」と回答するや、被告人杉浦常雄が「どんなことがあっても撤回できないと言うのか。」と言い、テーブルを一、二回平手で打ったこと、被告人田中一郎が「われわれには一、〇〇〇人からの味方がある。皆に発表するが、それでもよいか」と言ったこと、被告人池島静枝が「納得の行く返事を貰うまで、明日の朝までかかっても私等は交代で来る。」と言ったことなどをそれぞれ肯認することが出来るに止る。もとより、これ等の事実のみによっては、いまだもって、被告人等の行為につき、脅迫罪その他犯罪の成立を認定するを得ない。被告人等の前記の行為は、労働組合法第一条第二項の適用を考慮するまでもなく、前叙のようなものである限り、労働組合と関係のない一般人の行為としても、それ自体刑罰法規に触れるものではないと言わねばならぬ。何となれば、それらの言辞は、決して暴力に訴えることを意味するものでなく、単に、今后は一そうきびしい態度で交渉することを意味するに過ぎないからである。尤も、証人津田六郎、同斉藤弥三治の各証言によれば、津田六郎が「解雇を撤回する意思がない」と言った直后、被告人定免茂雄が「そんな奴は二階の窓からほうり出せ。」と放言し、被告人池島静枝が「そや、そや、ほうり出せ」と相槌を打ったことを窺知し得ない訳でない。被告人等の本件所為中刑罰に触れる可能性のある部分は、実にこの一点のみであり、証拠調の全結果を仔細に検討しても、他に違法性を帯びた行為の存在を認め難い。(被告人等が津田六郎に対し面会を強要したり、その自由を拘束したり、文書の作成を強制したりした事実は認められない。尤も、交渉中津田六郎に対し電話がかかってきた際、電話を口実に逃げては困ると言い、電話をそのままにして交渉を継続させたこともあり、昂奮するにつれて、かなりの高声を発した者もあったようであるが、未だもって監禁、脅迫などの罪に触れる程度のものではない。なお、高声を発したことについても、これを怒号、怒鳴る等と表現するのは、本件の場合、諸般の状況よりこれを観れば、表現過剰であると言わねばならぬ。)そこで被告人定免、同池島の叙上の二階の窓云々の言辞について、さらに検討を加えるのであるが、当裁判所の検証の結果に依れば、なるほど同会議室は二階に位置しているけれども、その窓の構造は、これを一見しただけでも、前記の放言内容の実現性に乏しいことを知り得るものであり、(同会議室の窓は、比較的に狭い多数の区画に区分され、それぞれガラス戸がはめこまれて居り、床上一米あまりの個所には金属性の手摺りが取付けられて居り、成人の身体を戸外に投棄することは、物理的に或は不可能でないにしても、実際上、極めて困難であると認められた。)このような場所で「二階の窓からほうり出す」等と言ったところで、窓からほうり出される危険を、相手方が感ずる筈がないことは、発言する側でも判っていたのでないかと思われる程である。証人斉藤弥三治が「窓からほうり出すなどと言っても、これまでにそんなこともなかったし、ほうり出したりできるものでないと思っていたので、自分は何とも思わなかった。お互に昂奮すれば、何でも言うのとちがわないと思う。」と供述しているのは、前記の見方を支持する資料の一つであろう。被告人定免等に津田六郎を真実窓からほうり出す意思のなかったことは、その后の事態の推移からも明かにこれを認め得るところであり、また、前掲斉藤証人の証言、その他証拠によって認め得る諸般の状況、殊に、最近「二階の窓からほうり出す」なる用語は、一種の慣用語として処々方々において、相手の人格を軽侮する場合に使用され、その本来の意味を失いかけている観がなきにしも非ざることなどよりすれば、被告人定免、同池島の前示の言辞は、津田六郎を畏怖せしめようとする意図の下になされたものと言うよりは、むしろ、おそらく一時の昂奮に駆られ、いわゆる売言葉に買言葉として、不用意に発せられた放言ではなかろうかと考える余地が残されているように思われる。思うに脅迫罪は相手方を畏怖せしめることを目的として、人の身体等に対する加害の意思を告知することにより成立し、結果に対する単なる認識をもって足ると解すべきでない。そうだとすれば、被告人定免や同池島等が自己の発言内容に関して、自覚を有していた一事を捕え、ただちに同人等に脅迫の犯意ありと断定すべきでない。その他当裁判所の証拠調の全結果を仔細に検討しても、被告人等に犯罪行為があったと認めるに足る証拠が見当らないから、結局、被告人等に対する本件公訴は、その証明が十分でないと言わざるを得ず、本公訴事実については犯罪の証明がないことに帰着する。
よって刑事訴訟法第三三六条に基き、無罪の言渡をなすべきものとする。
よって主文のとおり判決する。
(判事 沢田哲夫)